労働はどこに立っているか

その昔は意識することすらなかったが、内田樹さんの『困難な成熟』を読んで「働く」ということについてちょっと考えたのでメモしておきたい。

 

まず著者の表現そのものでは無いけど、私が読んでイメージした図を残しておきたい。内田さんは労働の対義語を消費だと書かれていて、これが秀逸だと思ったので、私の理解を図にした。(この説明を内田さんは丁寧になさっていて非常に味わい深いのだが、私の拙い表現力ではこんなプアな図になってしまうことをお許しください。)

 

原始、人の生産量は消費量に対して不足しがちで、それを工夫して制御/管理することで人は不足を補おうと努力しつづけてきた。この全体が「労働」で、だから内田さんは労働の対義語を消費と書かれたのだと理解した。(すでに違っているかもしれないが。)

 

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大昔は生産が不足、その後、管理/制御が仕事に加わって消費は満たされてきた

 

 

 

それで制御/管理が進んで生産量が消費量を上回ると、需要不足を埋める知恵を絞ることも労働の中に入ってきます。この本では皮肉を込めてジャガイモの皮むき器がジャガイモの皮と同じ色にしたら、皮と一緒に皮むき器も捨てられて皮むき器が売れたという例が出てきます。こうした需要不足を埋める仕事を営業とかマーケティングとか言うんですが、労働の本質がこちらだという見解に異存はないです。

 

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制御/管理で生産量が増えると需要不足が発生

 

 

で、この制御に関するお仕事は疲弊しちゃうんで、「生物として生きる知恵と力が高まる環境」、つまりできるだけ自然に近いところで働いて下さいというアドバイスがなされています。自然に近いところのヒントとして人は「価値のあるものをたくさん作って下さい」という仕事には疲れないというアドバイスも書かれています。価値があるというのは消費される健全な需要があって、我々の労働の成果物を「ありがとう」と言って受け取り使ってくれる人がいる場合だと私は読みました。

 

この一連の説明を上のような図とともに理解したところで、ものすごく最近の自分の仕事に対する徒労感とか疲弊感の理由が腑に落ちて、このエントリーが書きたくなったのです。

思えば、今の企業で求められている仕事って、この需要不足を埋めるための営業であったり、マーケティングであったり、それらをやっている人たちを管理するための仕事だったりしますよね。そしてその埋め方の高度化を競う形で現在の企業間の競争はなされている。例えばAmazonのサービスは需要と巡り会いにくい、需要のグラフで並べるとロングテールと呼ばれる位置づけにあるニッチな商品を、時間と空間を超えてユーザーに届けるサービスだったりします。

 

過去には需要不足の埋め方は、貿易だったり、植民地の獲得だったり、民主化の広がりによる人々の消費意識の変化であったりという手法がとられてきました。でも今は、ITを用いたスマートな需要と供給のバランシングシステムが誕生しつつあります。メルカリとかZOZOTOWNも、こういう種類のサービスですし、Uberだってそうですよね。こういうパラダイムシフトが起こっているのだなということに気付きました。

 

バブル崩壊前まで、日本が得意だったのは制御と管理の高度化競争。その後、iPhoneが出て来た時はモノ作りの発想力で日本が負けたのだと認識していました。だから、その文脈で競争力を高めようと多くの企業がイノベーションを声高に叫んでいるように見えますが、需要不足の埋め方の高度化を競うという切り口で考えてみたら、まだ日本の会社にはやれることがある気がします。

 

隙間の需要の発見とか、遠くの需要に届ける手段の開発とか、組み合わせによる需要の創出とか、人の欲望を研究したら世界のどこにいても着眼点は見つかる気がします。

 

本田宗一郎本田技術研究所を人の研究をするところだと言いました。松下幸之助は松下は人を育てる会社だと言い、PHP研究所も創設をしました。三洋電機の井植はライバルはお客様の心だと言い、日本の経営者は消費者の心とダイレクトに向き合ってきました。

 

今の日本企業は、その原理原則に立ち返れていないだけなんだなと思いました。

 

私がコーン理論と読んでいる考え方

コンセプトを扱う仕事を30代半ばから始めたところ、コンセプトの粒感とか上下関係とかスムーズな流れを体得しているコンセプトネイティブな若者(コンサルタントとかクリエイティブエージェンシー出身の人)と同レベルにコンセプトを扱っていくことに苦労しまして、デザイン思考とかロジカルシンキングとか思考の整理術の本を読み込んだ結果、体得した私の整理法を書いておきます。考え方もこなれていないので読みにくいです。でも今の段階で言語化を試みておきたいという衝動が止められないのです。まるでダイイングメッセージみたいなエントリーですが書き留めておきます。あまり読まないで下さい。

 

仕事っていろいろなものの積み上げでできていますが、私はいつもコーン(円すい)のような立体がいくつも重なるような積み上げ方をイメージしています。なんでコーンなのかというと、頂点にはその仕事を行った人が考える、あるいは感じる(意識している場合と無意識の場合の両方があります)フィロソフィーとも呼ぶべき一番大事にしている考えがあり、そこを目指して仕事は積み上げられていく。また積み上げる時に、どのあたりに積み上げるのが全体の調和を損なわないか?というようなコトを考えて積み上げ方をデザインすることも大事ですし、自分が積み上げられる仕事の幅とか実力とかリソースとかによって積み上げ方の制約を受けることもしばしばです。

 

イメージを絵に描いてみると以下のような感じで、私は仕事の状態を感じています。全体をくくる大きなコーンの中に、小さなコーンがいくつも積み上がって大きなコーンが構成され、そのコーンは一番大きいコーンの稜線の延長上からは決して出ません。

 

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そして縦方向には思考の粒度の軸が存在しているというのをイメージしています。各々のコーンは上からおよそ3つくらいの階層で成り立っているイメージで、上段にコンセプトがあって、中段にはコンセプトに則ったコンテンツがあって、下段にコンテンツを構成するプログラムがあって、頂点には前述したように全ての仕事が集約されるべきフィロソフィーがあるイメージです。よく戦略論で言うと戦略があって、作戦があって、戦術がある。あれと同じ実行する際に上から整理されるべき思考の階層を全てのコーンは内包しているイメージです。

 

これを完全に思考の世界の中だけでできるようになると、コンサルみたいな明確な概念の整理ができるようになるんですね。普通の仕事は下からの積み上げだけを意識しますが、この目に見えないコーンの配置をイメージしてプロジェクトをまとめる力がつくと企画員とかデザイナーとかコンサルとしては縦横無尽にやれるレベルだと思います。経営者とお話するときはコンセプトとか戦略レベルの説明を、ミドルマネジメントの方とお話する時はコンセプト/戦略から下ろして来たコンテンツ/作戦の話を、現場の方には相手のレベルを見ながらプログラム/戦術の話を中心に、なぜその施策が必要なのかという上位概念とのつながりの説明をするといった使い方をします。

 

これが掴めるようになるまで、やはり10,000時間が必要でした。掴んでしまった今、次に必要なのは、この能力に気付いてくれる上司だということに最近気付きました。それがこの年末年始の一番の悩みどころでした。

 

 

 

90年代の末の営業スタイルを思い出した

その昔、営業という仕事はお客さんと仲良くすればするほど実績を上げることができたそうです。高度成長期〜バブルが過ぎるまでは、その傾向は変わらなかったと言います。96年くらいから潮目が変わり、単純なお客さんとの親密さが必ずしも営業マンの優秀さを示さなくなったのです。今もその傾向は変わらないと思います。

 

営業をやったことのない方は、あれ?っと思うかもしれません。営業ってお客と仲良くすればする程いいんじゃないの?と。違うんです。仲良くしすぎるとお客さんが困った時にも助けてあげなきゃならなくなるでしょ?だから適度な距離感を保った、都合の良いお付き合いの方が会社のためにはなるのです。ひょっとしたらバブルの頃に業績を伸ばしていた営業マンも、そういう心得があった賢い人たちだったのかもしれませんが、バブル崩壊後から難しい判断を迫られるようになったという点についてはご賛同いただけるのではないでしょうか?

 

私はバブル崩壊後の98年から、ある生産財というか機能性建材の営業を経験したのですが、その年に私と入れ違いで早期退職で辞めていった課長のアドバイスが今も忘れられません。「お客と仲良くすればする程いいって言われて育って来た俺たちの時代は終わった。これからはお客と猾く賢く付き合わないといけないが俺にはそれができない。」と2人っきりで最終日にランチに誘われて言われた言葉は、その後も私のキャリアの中で何度と無く私を救ってくれました。自らも生き残るのに必死な古い認識のお客から過剰なサービス(赤字での受注強要、絶望的に無理な納期対応)を要求されたり、同じく旧態依然とした上司の下について会社に損害をだすような受注をさせられそうになったときも、この一言を思い出して毅然と対応することができました。

 

山一証券の破綻から20年ということで、メディアに元・山一社員のことが取り上げられますが、当時のお客様が山一社員の身の上を心配してくれたという美談がよく出てきます。実際、職探しを余儀なくされた社員の皆さんは大変だったと思うのですが、一方でそういったお客様との良好な関係を示す美談というのも、97年に破綻したればこそ残った美しい思い出なのでは無いだろうか?と私はそう読みます。でも、だからこそ、そんなあのころの日本の商いのあり方が懐かしくも感じました。

 

98年以降も信じている人の心の中には生き続けている流儀だと思います。私もそういう古風な先輩やお客様に教えていただき、育てても頂きましたので完全否定はしません。ただ、あの頃以降、目の前のお客様がその流儀で生きているかどうかを見極める目を持たないと大やけどをする時代になっちゃったのは事実のようです。今や営業は誰にでもできる仕事ではなく、そんな中で日本の会社は少しづつ錆び付いているのではないか?と急に寂しくなったりする訳です。

『修羅の門』というマンガについて

修羅の門』というマンガがあった。それは私が中学生のときから大学生までの間、愛読したマンガだった。連載誌の月刊少年マガジンを当時の私は、このマンガを読むためだけに購読していたと言っても過言ではない状態で、当時の私は一ヶ月の時の流れを、このマンガを読むことで刻んでいた。そんなマンガに再びであったので、そのことを書き記しておきたい。

 

このマンガの雑誌連載当時も沢山の格闘技マンガはあったが、『修羅の門』は一線を画するリアリティがあり、伏線の回収も当時の私には巧妙に見え、何よりキャラの一人ひとりがその人生を背負ってそこに立っており、マンガにありがちな光線が出るとか死んだキャラクターが生き返るということがなく、ひょっとしたら修練次第で登場人物のような技が繰り出せる自分になるのではないか?とすら私に思わせた。こうした奥深く自分の肌感覚に近い世界観が私を魅了した。特に今から考えると、当時の私の胸に迫ったのは死が死として一度きりの儚さをそのままに描かれていたことだったのではないか?その事実が深く深く、私の心に「自分の命の使い方」を問うて来たものである。人に悟らせる真に名作である。(まぁ私が浅いのかもしれないけど。)

 

さて、それから20年が経ち、私はこのマンガと再び出会った。作者は2010年に連載を再開していたのだが、その再開したものを私は月刊マガジンで読むこと無いまま終了した。ところが、その総集編が発売され、それをコンビにで見つけ懐かしくなり買ったのだ。読んだことの無い2010年以降の『修羅の門』を読んで、またあのころのキャラ達に会いたくなり、私は中古で全巻を取り揃えた。その金額およそ千円、激安である。

 

改めて読んでも、主人公の陸奥九十九は私に「命の使い方」を問いかけて来た。20年経って、衰えることと道を求めることのせめぎ合いの前に、やはり自分の命の儚さを感じた。つまり自分が目指す頂きに到達できていないこと、その頂が見える位置にもたどり着いていないこと、自らの無力を改めて痛感したのだ。

 

実はその不甲斐ない現状の原因の一端は、陸奥九十九という大馬鹿ものの生き様を作者の川原さんと一緒に想像してしまったことにある。思えば過去の人生の大きな岐路で、どうしても自分らしさというか、自分の魂が喜ぶ道を選んでしまって器用に生きられないのだ。

 

かといってこれまでの私の人生に全く後悔は無い。むしろ、陸奥九十九的な生き方ができてきているから後悔が無いのだ。(むろん私はあんなに傍若無人に道を切り開く力はないが。)そして20年あれば1回や2回は死を意識して渡った修羅場もある。生きるということはそれ自体が戦いなのだ。戦いから逃げず最後までやり抜く力を、こうした人生観の大切な部分を、私はこのマンガからもらった。そんな人間がここにいるということを書き残して、例え届かなくても作者に心から感謝の意を表したいと思って今日は書いている。川原さん、本当にありがとうございました。

 

おかげさまで目指していたのとは別の頂きですが少し見えてきました。

自分の中にある2種類の愛情

特に男性の皆さん。恋と愛は違うって思ったこと無いですか?

 

若かりし頃に同年代の女子の恋愛トークではよく語られるテーマだったんですけど、男子とこういう話になったことがないんですよ。恋と愛というラベルを貼ってしまうと、それはそれでちょっと違うのですが、結婚するとか愛する人と長く一緒にいるための気持ちの持ち方を考えると、2つくらいの愛情を区別して使い分ける心の技術って、男にとってこそ大事だと思うんですよ。でも男子は、こんなことを考える機会に恵まれないことが多いので、おせっかいは承知だし響かない人には全く響かないテーマなんだけど書いておきたいと思います。

 

誰に教えてもらったのかは忘れてしまったのですが、男の愛情には2つの種類があると思った方が良いそうです。1つは異性に対して恋に落ちる時のあの強烈な好きっていう気持ち、もう1つはその異性をかわいいなぁ、守ってあげたいなぁと庇護したい気持ちを伴う好きっていう気持ち。この2つの感情が沸き出してくる場所って違いませんか?

 

感情が沸き出してくる場所の違いに注意しながら、続きを読んでほしいのですが前者の感情って激しい感情ですがコントロールしにくく、また燃え尽きることある感情ではありませんか?狩猟本能に近いところが刺激される感情。一方で後者の気持ちは、思えば思うほど深まるのを感じないですか?そして燃やすというより温める感じ、自分からも温めるんだけど、その温かい気持ちから自分も元気をもらう、そんな感情です。

 

恋愛の初期には、いろいろと面倒なことを乗り越える必要があるので前者のような強い衝動が必要ですよね。でもその後に関係を長続きさせようと思ったら、後者の感情が沸いてこないと続かないですよね。そういう自分の両方の愛情を注げる相手かどうか?その相手に対して自分が両方の愛情を持てる男か?を結婚前にはよく考えた方が良いと教えてもらいました。

 

私がこんな話を思い出して、今回ブログに書きたくなったのは、仕事とか趣味とか勉強に対しても、同じだなって思ったからです。この2つをコントロールできないと長続きしない。そして男はこの2つを切り替えるのが下手だというのを実感したからです。多分、前述の前者の愛情は狩猟本能に近くて、そういう愛情で仕事も趣味も勉強もできると信じちゃうんですね、男は。具体的には英語の勉強で、日本人で日本で勉強して一定のエクセレントな英語を使う人の比率は圧倒的に女性が多いと感じたことが、こう考えたきっかけです。しばらくお休みしていたのですが、もう一度、自然に英語が好きと言えるのを目指してみようと思いました。

戦争について考える

2013年からしばらくの間、仕事で置かれた環境が過酷で、嫌でも毎日のように戦争のことを思い起こさせられました。その時に思いを巡らすのは現代の戦争ではなく、日本が戦った先の大戦で、兵士達はどんなことを思いながら戦ったのだろうか?本当に現実から目をそらして勝てない戦争に突入して、負けた場合の最後の責任を誰も取るつもりもなく、あんな大それた行為に突っ込んでいけたのだろうか?それとも戦後教育の中で採用された軍部の暴走という表現は事実で、戦争装置である軍隊があれば、国は必ず戦争へと突き進むのが宿命なのだろうか?だから憲法九条があれば、国は戦争へと向かわないのだろうか?当時の軍人、職業軍人達、特に参謀を任されるような知性を持ち合わせた人たちは本当に、そこまで愚かだったのだろうか?気骨が無かったのだろうか?

 

そんなコトを毎日考えていました。それは自分がブラックな職場環境に閉じ込められて、連日の徹夜生活を余儀なくされており、それが生産的だとはとても思えず、かといって頭が良いはずなのにその状態に自分自身をも追い込む上層部の人たちの行動に、ひたすら私の脳が「なぜ?」を繰り返していた結果でした。無益な戦いを、なぜ頭が良いのに選んでしまうんだろう?という素朴な疑問がどうしても拭えませんでした。会社であれば命まで取られない(こともないんですが)という前提で考えてしまい、突き進むんだろうか?と考えていて、命のやり取りになる戦争を、昔の日本人がどのように決断したのかを考えるようになったのです。

 

何冊かの本を読み進めると、良心的で論理的だと思われる軍人ですら、例えば永田鉄山は惨殺され、石原莞爾満州から予備役へと排除され、山本五十六は勝てる勝てないの議論はをぼかし、開戦して1年や2年は暴れてやりましょうって、その後をどうするのかについては皆で考えないことにして戦争に突入していきました。この経緯を知るほど、ああ、日本人に生まれてよかったとは気楽に言えないのだなという事実が私に重くのしかかってきました。

 

最近でた西村京太郎氏の戦争体験本に、日本人は戦争に向いていないという総括がありますが、正にその通りだと思います。大きな戦略を描けず、目的を持って外交すらできない集団は、その外交の手段である戦争を積極的に活用してはいけないと思いました。厳しい自然と向き合いながらも、昨日の延長の今日を強かに生き抜く力は農耕民族である日本人には備わっていると思いますが、互いに狩り合いながら、略奪し合いながら生き抜く狡猾さは日本人にはなじまないと思います。それが、戦後民主主義で父や祖父の世代が至った結論だったと私は理解しています。その上で、難局をどう生き抜くかが問われている難しい時代だと思います。

 

 

 

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最後に、ブラックの話で締めてもいいね。

あのころ、外国の町並みやお店がおしゃれに見えた理由

僕の子供時代は80年代。あのころ、テレビや写真で見る外国の町並み、外国のお店、外国のクルマは何を見てもおしゃれでした。特に今日書いておきたいのは、いろいろなおしゃれさの中でも特にお店のおしゃれさがどこから来ているのか?という話です。

 

実は私の生家は、三つ程の商売を掛け持ちして経営してまして、子供ながらに自分のところの店がおしゃれじゃないなぁと思っていました。経営者である親や祖父母に、もうちょっとおしゃれにできないの?っていう進言をしたのは一度や二度ではありませんでした。何回かに一回は例えばカーテンがリニューアルされたり、棚が追加になったり、品揃えがカラフルになったりという程度ではありますが、私の提案が採用されるのですが、やっぱりおしゃれな感じが出ません。

 

思えば、当時、私の生まれ育った田舎町にあったお店で、おしゃれと呼べたのは、都会帰りのお姉さん(おそらく土建屋さんの愛人)の経営するブティックとか、都会に本店を持つお店の夏場の避暑地営業的な支店とか、やはり都会帰りの人が営むログハウス風の喫茶店くらいでした。その後、社会人になってから「田舎で流行る(長続きする)飲食店を作るには、すべからくログハウス風にすべきだ」という説を聞いたのですが、その説を裏付ける宇宙の法則っぽいモノが、たった今、私の頭の中でつながったのですが、とりあえず当初の論を進めます。

 

それらの一見おしゃれに見える店舗にも実は違和感を感じていまして、なんか観光地にある似たお店を、自分なりに真似した劣化コピーに見えて、むしろちょっとダサく見えたものでした。その観光地のお店は、やはりそれなりに本気で作り込まれていておしゃれでした。でも、それらも海外のお店の店構えの前では、やはり安っぽい。

 

この差をマーケッターになってから、ようやく研究しだしたのですが、やはり、素敵なデザインの裏にはフィロソフィーがあり、そのフィロソフィーが妥協無く形に落とし込まれると魂が建物やお店の陳列棚の細部に宿るのです。東京に出て来て20年が経って最近ようやく、都内で長らく営業している老舗をみて、これだとひらめくものがありました。それは料理でも、お菓子でも、包丁でも、紙でも、傘でも、商材は何でもいいのですが店を守っている人が何か大事にしているフィロソフィーが店にこもっているのであれば、その店は何かの真似ではない、普遍的なおしゃれさを発しているということを感じられたのです。そして、そのフィロソフィーは人から人に受け継がれ、受け継いだ側の人も、その精神を磨き続けることを要求される。そういう守るべきコンセプトがあって初めておしゃれさというものが醸し出されるのだということを、ひょっとしたら知っていたのかもしれないけど、ようやく言葉として表現する対象として認識することができるようになりました。

 

外国のお店がおしゃれに見えるのは、外国、特に欧米の人たちがフィロソフィーを大切に生きているからです。だから彼らが営むお店は、必然的におしゃれになるのだと思います。

 

フィロソフィーって何回も言いすぎましたね。そして、この文書、私が子供のころから目にし続けて来たモノ作りを語る本たちでは、よく見る表現になりすぎました。心を先人から受け継ぐのが大事だっていう話に過ぎないです。年寄りが好きなあれです。でも本当に言いたいことは、その差がちゃんと体得、いろいろな経験を通して、自分の中で腑に落ちたこの感覚の話です。でも、今日は眠いのでこの辺にしておきます。ログハウスが流行る理論とあわせて、また次回以降。