偏頭痛 ふたたび

 偏頭痛が再び襲って来た。しかも夜中だったんだが、不思議なことに痛みで起きた時に頭の中の別の部分が、いま会社で置かれている自分の辛い状況のことを「なんでだろう?、なんでだろう?」ってものすごく淡々と矢継ぎ早に分析し続けていた。まるでその脳の部分は別の人格みたいにずっと痛がる自分のことをほっぽらかして、答えの無い壁に向かって「なんでなんだ?なんでなんだ?」って問い続けていて、思考が同じところをぐるぐる回るのではなくて結構明快に1つ1つの「なんで?」に答えを出してて、自分の無意識領域の博識っぷりと分析の深さに震えた。

 

もう1つ、このところストレスで呼吸が浅くなり、置きているのに無呼吸症候群の人みたいに呼吸を忘れ、心臓の動悸がして苦しくなるという状態を抱えており、頭の痛みを感じながら深呼吸しつつ再び眠った。それが午前4時。いつもの6時に起床した時は頭の頭頂部左側が、もう疲弊しきっており今日一日全く役に立たなかった。9時から久しぶりの会議に出たが、もう何やってるんだかって感じだった。

 

ここで簡単に自分の置かれた状況を書いておくと、昨年末までいた部署では申し分ない成果を叩き出し過分な評価を受けていた。仕事はこれまでの仕事人生でもちょっと記憶に無いくらい自分の価値観にフィットしており、一生の仕事を見つけたと思っていた。ところがである。年末で所属していた部署は半解体され、選抜特命部隊への転属を言い渡され1月に着任すると、実はその特命というのが全く会社のためにならず、上層部の自己満足を満たすために必要の無い仕事を脚色して報告するだけの、本当に唾棄すべきクソ仕事だったのだ。しかも近い使命を帯びた部署が同時期に乱立し、その中で全く持ってやるべき仕事を全員が見失って今を凌いでいるのだ。窓際なのか?と自問し続けて5ヶ月。ついに体調に異変を来す事態に陥っているのだ。

 

書きたかったのは、この後のことなのだが、そんな痛む頭を一日中抱えて定時退社した帰り道。「では、何を考えたら俺の脳は、この悩みを次の行動に昇華できるのだろうか?」と、別のことをいろいろと考えてみた。自分に出来る限りで、固執している対象以外のことに広げて、生き方を考えてみたのだ。駅からの30分程の道のりを歩いていて、ふと頭痛が消えたのは「自分が決めて、将来性を見込んで入社し、いろいろと教えて育ててくれた会社がダメになってしまったことが悲しいんだな。」と思ったら頭の中のモヤモヤがスッと引いてほどけて行くのを感じた。ああ、そうなんだな。と昨日、一晩中自問自答し続けていた自分の無意識が納得してくれたことを感じた瞬間だった。

 

俺の無意識は、結構いろいろなコトを知っている。だから俺に、ここにいたらダメだと教えてくれたのだと思う。諦めずに、ここでもう一度頑張って組織を変えてみたら良いじゃないか?と問いかけると、俺の無意識はダメだと言っている。なぜか?それは組織にぶら下がる人が多過ぎて、一度でも失速したら戻せないからだ。この感覚は前の会社を辞めた時に似ている。直感を大事にしてみようかなと思った。今もくそ仕事の中にも、心ある人たちはいて、現場のため、お客さんのために頑張ろうとしているんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道

今日の帰り道、夕日がとてもきれいで、去年までの生活では中々こういう時間に退社できなかったから贅沢なじかんだなぁとシミジミと感じ入ってしまいました。

 

この会社からの帰り道でこんな夕日を見るのはこれが最後かもしれない、そんな予感を感じながらの帰り道だったので、余計に美しい夕焼けでした。

 

私は、今の会社は転職でして、でも本当に良い会社で、惚れ込んで入って、ここで働くことに誇りも感じていたし、それなりに苦しい思いもしながら耐えて来たし、喜びも悲しみも挫折も達成感も教えてもらい、大きな仕事をさせてもらって本当に大好きな会社です。今もなぜこんな風になってしまったのか、信じられません。ひょっとしたら、昔からこうで、私が外ばかり見ていたから本当はこんなにドロドロしてるって知らなかっただけでは?と改めて考えてみたものの、あ、俺ってばこの会社の中心もしばらく定点観測してよく知ってる。ここ数年でこうなっちゃったんだと気付いて、やっぱり落ち込む訳です。

 

大戸屋のお骨事件や、出光の創業家と現経営陣の対立やら、大塚家具の御家騒動やら、企業ガバナンスに関わる問題が取りざたされている昨今ですが、何なんだろう?ということをしばし考えてみました。

 

【経済インサイド】お家騒動の大戸屋HD「お骨事件」とは…創業者未亡人と社長が社内で対峙 テレビドラマもびっくりの修羅場だった (1/4ページ) - 産経ニュース

 

出光・創業家の対立がヒートアップする事情 | 週刊東洋経済(ビジネス) | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

これって、どれもこれも多様になった価値観が小さな企業の中に押し込められ、そのひずみが表に出て来た事件に見えるんです。世代間のなだらかなギャップが、バブル崩壊から、リーマンショックなどの段階を経て少しずつ狭い空間に閉じ込められて断層に力が溜まってはじけたような、そんな事件たちです。今や政治もそんなモザイクになっていて、これだけ多様になったのに、多様性を尊重し合う気持ちは私たちに備わらないまま今日に至っている訳ですね。

 

それでも、今までのやり方でうまくいっていたベテラン経営者は今日と同じ明日を夢見て、明後日の方向に向かって采配を振るうんですね。で、自分たちの采配がどんな結果につながっているかなんて死ぬまで気付かずに得意顔で会社を去って行くんでしょうね。なんだか悲しい。まぁ、東芝の往時の経営陣のように、死ぬまで逃げ切れなかった人たちが、どんなことを考えているか?とか、すごく興味があるんですがね。

 

あ、言っておきますが私は東芝関係者ではないのでご安心を。

 

 

 

 

 

Apple ID のパスワードがいつの間にか変わっている?と焦った件

Apple ID のパスワードがいつの間にか変わっている?と思われる現象が発生。

それは4年程使い続けているMac book Air で一部のソフトのアップデートが行われず、再度手動でアップデートした際に起こった現象。お前の入力したパスワードは違っている!とApp storeもi tunesも言ってくるのだ。で、しまいには「パスワードをお忘れですか?」とまで聞いてくる始末。

 

パスワードには絶対の自信があったので、何らかのトラブルに違いないと思いFAQを見にAppleのHPに行くと自分のApple IDで、このHP上ではログインできるではないか?これは新手のフィッシング詐欺ウィルスにでも侵されたか何か?とにかくトラブルだ!と確信してサポートに電話。電話の先の、とても感じの良いお兄さんと格闘すること30分。ついにわかりました。

 

2ファクタ認証が悪さをしていたというか、旧バージョンのOSに残る2ファクタ認証との相性の悪さが原因でした。古いバーションのMacだとパスワードの後に、携帯とかiPadなどの別のデバイスに送られてくる2ファクタ認証の6桁の数字を追加で末尾に入力しないと認証されないという仕様になっているのだ。こんなの知らないよね?

 

同じ症状で困っている人を助ける備忘のために書き留めておきます。

 

 

トヨタの決算発表

トヨタの決算が発表になりまして、18年振りに2期連続の減収減益だそうです。大きいのは為替の影響みたいですが、トヨタの減益ってあちこちのニュースで取り上げられるので、日本中でいろいろな人が心配しているんだなぁということが分かります。かくいう私も、あまり関係ないヨソ様の決算で、ちょっと言い表せない微妙に不安な気持ちになっており、これをあえて言葉にしておきたいなぁと思います。

 

個人的にはまったく関係ないヨソの会社の決算がこんなに気になるのは、もう日本の経済は自動車頼みで、その自動車産業のエースはトヨタだからだと単純に思ってました。日本が今世紀も今の経済的なポジションを何とか保持できるかどうかはトヨタをはじめとする自動車にかかっているという、こっちの勝手な期待が、2期連続の減収減益と聞いて、大丈夫?という気持ちにさせるのかと思っていたんですが、それだけじゃなかったんです。

 

まず、数字そのものを見れば相変わらず立派な決算です。27兆円以上の売上を上げて2兆円に近い営業利益です。率にして7.2%といえば、申し分の無い経営状態だと思います。これだけ見ると不安を感じる要素は全くない。でもトヨタは対外的なポーズではなく本当に反省しているというか、難しい課題に直面していることを認識しているのです。その問題の数とか大きさとか複雑さとか、そういったことは当のトヨタでないと分からなくて、トヨタの中でもそういう全体像が見えている人は限られていて、決算発表で前に出てしゃべっているあの人たちにも、全体像は見えている一方で課題の細かいところなんてとても見きれていなくて、それが豊田章男さんが冒頭に言っていた「大きくなりすぎた」という表現に現れているんだと思います。でもそういった言葉やスライドで表現しきれない微妙なニュアンスの部分も、数字やファクトや人柄や醸し出されるトヨタらしさ?でキチンと伝わって来た良い決算発表会だったと、後から動画を見て思いました。

 

トヨタは本当に果敢な挑戦をしていると思います。これまでの数十年間でトヨタが率先して築き上げて来た日本車の”機能に特化した”イメージを自ら打ち破り、もっとセクシーさとか、走りの良さとか、乗る人の感性にも訴えるようなよいクルマを作ろうと取り組みをしつつ、これからやってくるパラダイムシフトを超えようというのです。パラダイムシフトとしてはエネルギーの転換とか、人工知能の発達といったものが既に見えて来ていて、今までにない次元での競争を余儀なくされている。それでも積極的に未来のクルマ社会を自ら描きつつ、その未来の中でも社会を支える主要プレイヤーであり続けようという意思を表明している。

 

こういう思想や視点は先頭を走っていないと獲得できないんです。誰の真似でもなく自分の頭で考え、描いた未来像を目指すという姿勢。そしてそのリスクは他でもない自分たちでマネージしなければいけないということを請け負う覚悟。それをやりきろうというトヨタの意思を感じながら、その動きに自分が参加できていない負い目というか、トヨタ1社に頼らざるを得ない自分たち日本人の不安が投影された決算発表だったのではないかと思った次第です。だから今年は特に気になっちゃうんですね。

 

ソフトバンクの決算も発表されましたけど、ソフトバンクが日本の将来を背負ってくれそうには見えないのも、孫さんがもう世界全体を背負おうとしちゃっているからなんだなと思ってて気付きました。はい。

マネジメントと現場の距離

 

ゴールデンウィークも、残りわずかとなって参りました。祝日の無い6月を超え7月の夏休みまで突っ走る心の準備は出来ていますか?出来ていない人は6月にも小連休を自分で作れるように画策しましょうね。

 

さて、仕事が本格的に始まる前の今日、どうしても書いておきたかったのがタイトルの話です。これって人によってまったく距離感の置き方が違って、上司が変わるたびに振り回される指標の1つですよね。現物現場を標榜して、何でもかんでも現物確認しないと気が済まないタイプの人から、放任タイプの人まで、その上司の更に上の上司の考え方にも左右されるので結構細かいケアが要求されるテーマだったりします。受け持つ現場が物理的に少なければ過去に一番細かかった上司の要求に耐え得る現状把握を心がければいいんですが、こちらも現場を複数見ていてそんな余裕がもてなかったりします。手を抜く時は、「上司の上司からそれ以上は突っ込まれない」という程度の現状把握を心がけると、社会人としては×はつかない身の処し方が出来ると思います。

 

話がそれました。書いておきたかったのはそんな小手先の話ではなく、まだ若かりし頃に当時の先輩から教えてもらったある社長の話です。私は若かりし頃に建築関係の業界で営業職をしており、その先輩は同じ営業でしたが一級建築士の資格を持つ人でした。その先輩自身が最初に社会人になった時に務めていた会社の社長の話をしてくれて、とても参考になったのです。

 

それは先輩が社員10名程度の建築会社の社長面接に行った時の話。面接中に社長宛に建築現場に行っている若手社員から相談の電話がかかって来たそうです。内容は専門的になるので割愛しますが、そのやり取りで社長は見事に的確なアドバイスを若手に与えて電話を切った後、面接に来ていた先輩に「彼は現場にいるけど現場が見えてないんだよ、でも俺は現場にいないけど現場が見えているんだよ」と言ったそうです。そのやり取りを見て、その会社への入社を先輩は決めたそうです。

 

この話を聞いた当時の私は売れっ子で、常に2〜5つの現場を同時に抱えて、複数の職人さんやエンジニアを遠隔操作しながら四苦八苦していました。そんな私にはこの話は正に金言でした。現場に行かずに上手に現場を回すためには、現場にいる人よりも現場のことを知ればいいんだ、それが出来ている人が世の中にはいるんだと思ったら、なんだかやれる気がして来たのです。最終的に、私は職人さんやエンジニア、設計、工場に何を言われてもキチンと答えられるように自分で図面を引き、計算書を作り、工程表を作り、搬入計画書を作り、工事の作業も一回は体験してみることを心がけるようになりました。

 

そうしてしばらく経つと、相手が訴える苦悩がすごく良く理解できるようになったのです。理解した上でお願いすると、相手もある程度は無理を聞いてくれるようになったり、私が気にかけているだろうなぁと思うことは向こうの方から先に報告してくれるようになりました。若いと建築現場ではなめられたりするのが当たり前ですが、実力社会なので、自分の実力や困りごとを分かってくれる人のことはむしろ尊重してくれる世界なのです。これは建築以外の職人さんやエンジニアの世界でも同じなのではないでしょうか?

 

この私が体得した泥臭いマネジメントスタイル。立派な会社にお勤めの皆さんには参考にならないだろうと心の奥底でずっと温めてきましたが、最近になって大手の会社でも求められているように感じています。それは社会の流れが随分と早くなってしまい、現場の即断即決でないと現実に対処できなくなっているからです。

 

スタバのハワードシュルツさんとかセブンイレブンの鈴木元会長も、そういう現場感覚をお持ちの人だと思います。マネジメントに携わる人の努力とか、敢えて言うと力量で、現場との距離は限りなく「0」に近づけることが出来ます。当事者になろう!と決めさえすればいいのです。また当事者になれる人は、ならないやり方も選択できます。

 

今、中小企業で日々の厳しい現実に悪戦苦闘している皆さん、あなた達の時代が近づいて来ていますよ。そういう大きな変化の波が、すぐそこまで来ていると思います。4つ目の産業革命の波、うまく生かしたいですね。

 

 

 

偏頭痛

突然、視野の一部が欠損して、目の前の世界がはっきり見えなくなったことってありますか?視覚が狭まり自分の意識の世界に閉じ込められるような感覚と戦いながら、くも膜下出血脳梗塞?といった病名が脳裏をかすめる、パソコンの検索をしていても視野の中央部がつぎはぎっぽくなって文字が判読しにくくなり、ちょっとパニックになります。私の場合は。

 

この症状、閃輝暗点(せんきあんてん)と言うらしく、私の場合は偏頭痛の前触れ現象として、今回は人生で二度目の発症。案の定、視界が元に戻った頃に左の頭がキューンとして、吐き気を伴う頭痛が襲ってきました。実は前回の発症時に、お医者さんからエルゴタミン製剤だと思われる薬を処方され「キラキラが出たら飲んで下さい。」と言われていたのですが、前回が7年前で薬は会社に置きっぱなし。今日は祝日で家にいたので、なす術なしで安静にして2時間ほど痛みに耐えつつやり過ごしました。

 

今回の偏頭痛で症状と体の部位の関連について気付いたことが2点、予知に使えそうな仮説が1点あったので備忘のために書き留めておきます。

 

まず、体の部位についてですが、症状に効果的なつぼがあることが分かりました。頭頂部とうなじの上の頭蓋骨の張り出しているクビの骨の脇の辺り、詳しい位置はYoshikiさんという方のブログに詳しいのですが(↓リンクを貼ります)、この2ポイントを押すと私の場合は症状が軽減しました。実はこの2つのつぼは鼻づまりの時に私が押しているつぼで、偏頭痛というのは鼻と関係が深い症状なのかな?という実感を持ちました。症状が出る直前にくしゃみが出そうで出ない、あの鼻の奥がむずがゆい感じになったので関係する血管か神経が鼻の奥を通っているのかもしれません。

本当に怖い片頭痛の前兆「閃輝暗点」と対処法の話 - Yoshikiの日記

 

次に体の部位との関係の2つ目、胃腸との関連です。嘔吐感来た後に大腸が活発に動くといった状態になることから、これは典型的な交感神経と副交感神経のバランスが狂った時の症状だという気がしました。

 

最後に予知に使えそうな仮説ですが、やはりストレスからの弛緩期に発症しやすいようです。仕事で緊張状態が長く続いた後に、体がなかなか緊張から戻らないことってありませんか?自分でも気付かないけど、妙に朝早く目が覚めるとか、休みなのに無意識に仕事のことを考えてしまう状態から抜け出す時に、この症状が襲ってくるようです。私の場合は前回は営業をしていて大きなコンペの決着がついて、お客さんから文書で回答をもらった直後に、今回は職場のストレスで3ヶ月程辛かったんですが、自分の中で見切りを付けられたというか、自分の置かれている状態が客観的に納得できた時に起こっています。そういう時に、体がゆったり動こうとしているのに、体のリズムに反して急な体の動きをしようとするとトリガーが引かれるようです。

 

偏頭痛に、もっと高頻度で悩まされている方は、それこそお天気の変わり目だったり、職場での異動直後だったりに頻発しているみたいですが、私の場合は、そういうもっと大きくて脳が振られるような状態で引き起こされるようです。

 

上手に付き合って行きたいなぁ。

 

 

 

 

ブログをはじめてみました

ちょっとした気の迷いかもしれませんが、ブログを始めてみることにしました。

2000年くらいだったか、もう今はなくなってしまった某ブログサービスでブログを書き始めましたが、あの業界も実社会の会社のように、いやそれ以上のフレキシビリティで統廃合を繰り返し、サービスプロバイダー間をお引っ越ししては潰れ、お引っ越ししては潰れといったことを経験するうちに、ひょっとして自分が貧乏神なのでは?といったことを感じ始めて撤退。

 

それからしばらくはどうすることも出来なくなった心のヘドロの吐き出し場所を失ったまま、大人へのカイダンを粛々と上って参りました。正確に言うと、キーボードに吐き出していたヘドロを、吐かずに正面から向き合って消化吸収してみるという修行をしてみていたのだと思います。ところが、その修行も6年で2周半くらいしたところで、実生活の仕事でも中年の危機というやつを迎え、ああ、俺、同じところをぐるぐるしてるなぁという感覚が出て来ました。まぁ平たく言うと行き詰まりました。これを機に、思っていることを外に向かって吐き出してみよう、少しでも言葉にしてみようというのが、このブログの開設趣旨です。

 

同じところをぐるぐると回っていると書きましたが、私も全く同じことを飽きずに繰り返しているほどピュアではありません。よかれと思って手を替え品を替え工夫を凝らしてやってみたことの結果が同じ場所に来てしまうのです。はい、迷子です。でも深度は明らかに深くなっており、もう少し掘り進めたら何か出てくるかもしれないし、生きているうちには掘り出せないかもしれないという予感もある。そんな心の中を外に向かってさらけ出してみたいよ〜と思ったのが、2017年5月3日の憲法記念日であるという訳です。

 

読書感想文が中心になるかもしれないし、浅い思索の結果を披露する典型的な駄文の垂れ流しになるとは思いますが、それも私の記録(ログ)なので、晒して行こうと思います。