ル・マン24時間レース

今年も見ちゃいましたね、ル・マン

全く疑いもせずにトヨタが勝つだろうと思ってみていました。日本時間の土曜日22時からスタートして、翌朝6時近くまで見て3時間程眠ってしまい、目が覚めるとトヨタがいなかったです。日曜の夜にまた見始めたらポルシェの1号車がユノディエールの入り口でスローダウンしていてロッテラーが相変わらず戦意をキープした鋭い視線でのろのろ運転しているから、これ何かあってもポルシェはピットまで帰れる仕様のクルマに仕上げていてバッテリーセーブモードが超優秀なの?という誤解をしてしまいましたが、やっぱりそんなことはなく、最後は止まってしまいました。

 

やっぱりクルマとか機械の信頼性って、膨大なデータとか多様な経験の積み重ねで作られるもので、熟成されるもんなんですね。トヨタも30時間の走行テストを7回しているとテレビで言ってましたが、本番の1回とテストの7回はやっぱり違う訳です。乗っている人、クルマを作っている人、応援している人の気持ちが載った時にクルマが耐えられるのか?それが人がレースをやる以上問われるということなんですね。人を乗せて走るクルマですから、そういう鍛えられ方をするのが自然なんじゃないかなとぼーっと見ていて思いました。

 

そこにいくとポルシェってやっぱり凄い。ヨーロッパでもアメリカでもアジアでも、多くの耐久レースに車両が使われているから耐久レースというのを熟知している感じがする。強いという表現が多くの人によってされていますが、強さってそういう場数とか人の経験だったりする訳ですね。ドイツでインダストリー4.0という動きが進んでますが、ポルシェはそっちに舵を切っているのか、それとも未だに人の感覚を生かしているのか、、、きっとトヨタは、またル・マンに必要な強さを一生懸命に各種の数値に落として目標を設定して頑張ると思うんですよ。それに対してポルシェとか、ル・マンは出ていませんがアウディとかBMWといったドイツ勢はどうやって強さを得ているのか?知りたい所ですね。人の肌感覚とデータが融合してるんだろうな、きっと。

 

そうだとすると、日本のモノ作りは早晩全滅しかねませんぜ。トヨタ頑張れ。

さて、次は松山君の全米OPを応援しつつ会社に行かねば。

 

規定演技と自由演技に向けた心構え

築地市場の安全性の議論を見ていて、過去に自分が建材の営業担当時代に経験した深刻なクレームのことを思い出しました。詳細は言えないのですが、当時の業界水準に照らして妥当、もしくは少しレベルの高い仕事をして施工・納品したところ、後から「将来の世界水準を語る施設責任者」が納品先に登場し、我々の仕事の否定をはじめたのです。入札時点で設定された要件と、施工後に求められている要件が大きく乖離していることを丁寧に説明したのですが、その施設責任者の高ぶった感情は収まらず、製品の些細な瑕疵を列挙し始め、元請けのゼネコンを巻き込んで建物全体を受け取る受け取らない、つまりお金を払う払わないの話になって大きな問題になってしまったことがあります。あの高ぶった感情は、おそらく着任早々に自分の存在感を示したいという気持ちと正義感がミックスした高揚感だったんだろうなと今から見て思います。(その瑕疵に対する説明を当時の会社の技術トップが「原因を説明できない、だから対策もできない」とお客の前で放り投げてしまったことから、私はその会社に見切りを付けて転職することになったのですが、その話はまた別の機会に。)

 

この案件も公共施設だったんですが、築地の状況と良く似ているんです。後から任命されて前任者のやったことを少し批判的に点検しなければならない立場の人が、フレッシュな目で見て批判できることをできるだけ事細かに列挙して批判すると、こういう問題は簡単に作れます。本人は作っているつもりは毛頭ないと思いますが、客観的に見ると問題を作っていることになってしまいます。

 

世の中のお仕事にはルーチンなものとクリエイティブなもの、仕組みに落とし込んで効率を追い求めることに価値がある仕事と創造的に取り組んで新しい発想を生み出すことに価値がある仕事、フィギュアスケートで言うと規定演技と自由演技というのがあると思います。この二つの仕事に求められていることの違い、ルールや採点方法の違いが理解され、お互いに尊重されないままに同じ土俵で採点を始めてしまうと解決の出口は閉ざされてしまうのです。数学で言ったら解がない問題の解を探すような状態になります。問題を作ったご本人はとびっきりの難問に挑んでいる高揚感を味わえるのが厄介ですね。

 

食品の衛生管理に関して言えば、90年代後半に日本でもHACCPというアメリカのNASA発祥の管理手法が導入されています。HACCPはHazard Analysis and Critical Control Pointの略で重要な管理ポイントを作業工程の分析によって絞り込んで管理しましょうという思想の管理手法です。衛生管理という日常業務を仕組み化して規定演技に落とし込み効率よく取り組みましょうという考え方です。この考え方を元に、現在はセンサー技術が発達していますので食品の安全管理の手法自体は、プロ達の手によってかなりレベルの高いものになっていると思っています。この手法の部分に疑問符をつけるのは、よく勉強してからの方がよい気がします。

 

見ている人に向けたパフォーマンスは自由演技の領域で、やろうと思ったらいろいろな表現方法があり、対象者も多様なので、バリエーションの開発にはきりがない世界です。なので、そのルールと規定演技のルールを混同して、いつまでも100点満点の演技を探していたら結論は出ないかもしれないですね。

 

個人的には日本中の海や山や畑や水田で穫れた自然な食材が集まってくる市場の施設としては豊洲は立派な気がしますし、安全だと思ってよい状態な気がします。食材自体の汚染は現在も100%防げていないんじゃないかと思います。私たちはその可能性も納得して、自然のものをいただいているんじゃないんですかね?その納得の上であれば豊洲で十分だと思いませんかね。

 

小池さんに好感は持っているので、ぜひ行政のプロとしてスマートな決定をしていただきたいと思います。おそらく都庁にお勤めの方、築地市場の関係者、豊洲の関係者もみなさん都民ですから、早めに決めてあげることが本当の都民ファーストである状況だと私は思いますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人徳ってなんですかね?

人徳とか徳ってよばれるものの正体って何だろう?

そして、あの人(主に上司)には何故それが大事なところで感じられないのだろう?

 

そんなことを真剣に考える日が会社勤めをしていると3〜5年に1回くらい来ませんか?実は今はその時期になってまして、ここ一ヶ月くらい考えています。

 

一緒に仕事をしていて、誰かと信頼関係を作ろうと思ったら仕事でしてもらった以上のことを返すキャッチボールを続けるというのが常套手段なんじゃなかろうか?と思っているんですが、時々この人の良心を悪用するというか持ち逃げするタイプの人と一緒に仕事をすることがあります。私はそういう持ち逃げするタイプの人をバンパイアだと思うことにしています。


良心など、すぐに個人の経済的な事情に押し流されてしまう現代社会にあって、いかに良心を保ち、付加価値を加えた仕事のパスを回し、良いパスの受け手であり続け、よいパッサーであり続けるかは日々試されていると思います。特に会社のような経済的な合理性を追求する集団に所属すると、やがて個人の経済合理性を極大化することに腐心するバンパイアのような人が生まれるのは仕方の無いことかもしれません。そして、そのバンパイアは一人の人間の心の奥に産声を上げることもあるし、集団としてのバンパイア文化を生み出してしまい、その集団の中で他者と同じようにバンパイアとして生きるか、はたまた人間としての理性を保つかということを所属する成員一人ひとりに、仕事の判断の細部にわたって問いかけてくることもあります。これはこれで一つの文化なんでしょうけど、私はそういう空気を極力さけて今まで生きてきました。

 

必要があって、なおかつどこかで分かってもらえそうであれば、バンパイアと戦っても来ましたが、私の持っている十字架やニンニクや聖水では太刀打ちできないことも多く、そんな時は迷わず逃げることにしています。まさに「逃げるは恥だが役に立つ」と考えるようにして全力で逃げます。だって、仕事のアウトプットの大きさは「能力×やる気×考え方」という公式に表せるっていうじゃないですか?そして、この「考え方」のパラメーターは+(プラス)ばかりではなく−(マイナス)になることもあり得るのです。私から見ると、個人の評価の最大化を目指して人の仕事の成果を食いつぶす仕事の進め方は「考え方」として組織が本来目指すアウトプットに対してマイナスに働くように見えてしまうのです。だって、そういう「考え方」で仕事を押し付けられると、仕事に対してモチベーションが上がらないとか、気が進まない仕事を押し付けらている被害者意識とか、自分がやっていることが無駄に思えるとか、そういう負の空気が職場を覆って会社のためにならないじゃないですか?しかも、自らが頑張れば頑張る程に負のスパイラルを加速させてしまうという状態になるのです。これって組織としてダメですよね?

 

こういった状況に追いつめられて、精神を病んでしまう人が現れる現場を何度も目撃してきました。そしてそんな状況を見ると、私も滅入ってしまうんです。なので止むに止まれぬ気持ちで発生源のバンパイアに苦言を呈するとか、上司であれば相談の姿勢を示しながら気付いてもらう努力をしたりするのですが、これが難しい。価値観の問題ですからね。

 

そうした状況が目に見える形で自分の目の前に隆起した時に、自分がどう振る舞うべきか?という問題に関しては私としては、もう結論が出ています。まずは全力で逃げることを考える。これは異動や転職も含めて最大限に可能性を探ります。それが叶わない場合は「私は私の人生を生きている。」ということを会社でも意識することにしています。さっきの仕事のアウトプットの公式でいう「考え方」のところの判断軸を会社というか組織に合わせることができないのであれば、もう自分の軸を優先させてしまう。私の目指す所と会社の目指す所が同じであれば、そういう課題には積極的に協力するが、そうでないと自分が思う場合は、いち雇われ人として上位職者の指示に従うというドライなスタンスを貫くことにしています。スタンスを決めることで自分の精神の安定を守ることにしています。決めたスタンスに沿っているかを客観的にチェックする自分を出現させて守る感じですかね?もちろん権限に基づいた具体的な業務指示には従順に従います。雇われ人として。

 

厄介なのは、このバンパイアになった上位職者の性向に職場のみんなが気付き始めて、少しずつ仕事のアウトプットを出し惜しみ(というか出せないんですけどね)しはじめた時に、血液が不足したバンパイアが自分を見失ってのたうち回ることです。これは本当に厄介です。どういうコトかというと、多くの場合は、もし成功したら評価が高いであろう無茶な仕事に手を出して、成功した時は自分の手柄に、失敗したら部下や他人のせいにできる体裁を整え始めます。途中経過の報告も最大限、上へのアピールに使い始めます。こうなると、もう上司だと思ってはいけません。無茶な仕事を自分で作っちゃう訳ですから。私は、そういった課題を押し付けられそうになったら、熨斗(のし)を付けて押し返すか、押し返せない時は前述のスタンスを守って言われたことだけやる消極的な担当者を演じるようにしています。熨斗をつけて押し返すというのは、その課題を成果が上がりそうなおいしい仕事に見えるように一旦は仕立て上げて、そのバンパイア上司に「よし、この件は俺がやる」と言わせることをいいます。手柄を急いでいるので、バンパイアは細かい問題点には気付かないことが多いです。なのでこんなやり方がおすすめですね。

 

最初の話に戻って、やっぱり人徳っていうのは難しいですね。何なのかも分からないし、教えてあげられないし、自分で人との関係の中で掴むモノなんでしょうね。本当に難しい。でも、誰かが見ていて私のやり方から何かを学んでもらえるように、耐えながら続けて行こうと思っています。2017年現在。

偏頭痛 ふたたび

 偏頭痛が再び襲って来た。しかも夜中だったんだが、不思議なことに痛みで起きた時に頭の中の別の部分が、いま会社で置かれている自分の辛い状況のことを「なんでだろう?、なんでだろう?」ってものすごく淡々と矢継ぎ早に分析し続けていた。まるでその脳の部分は別の人格みたいにずっと痛がる自分のことをほっぽらかして、答えの無い壁に向かって「なんでなんだ?なんでなんだ?」って問い続けていて、思考が同じところをぐるぐる回るのではなくて結構明快に1つ1つの「なんで?」に答えを出してて、自分の無意識領域の博識っぷりと分析の深さに震えた。

 

もう1つ、このところストレスで呼吸が浅くなり、置きているのに無呼吸症候群の人みたいに呼吸を忘れ、心臓の動悸がして苦しくなるという状態を抱えており、頭の痛みを感じながら深呼吸しつつ再び眠った。それが午前4時。いつもの6時に起床した時は頭の頭頂部左側が、もう疲弊しきっており今日一日全く役に立たなかった。9時から久しぶりの会議に出たが、もう何やってるんだかって感じだった。

 

ここで簡単に自分の置かれた状況を書いておくと、昨年末までいた部署では申し分ない成果を叩き出し過分な評価を受けていた。仕事はこれまでの仕事人生でもちょっと記憶に無いくらい自分の価値観にフィットしており、一生の仕事を見つけたと思っていた。ところがである。年末で所属していた部署は半解体され、選抜特命部隊への転属を言い渡され1月に着任すると、実はその特命というのが全く会社のためにならず、上層部の自己満足を満たすために必要の無い仕事を脚色して報告するだけの、本当に唾棄すべきクソ仕事だったのだ。しかも近い使命を帯びた部署が同時期に乱立し、その中で全く持ってやるべき仕事を全員が見失って今を凌いでいるのだ。窓際なのか?と自問し続けて5ヶ月。ついに体調に異変を来す事態に陥っているのだ。

 

書きたかったのは、この後のことなのだが、そんな痛む頭を一日中抱えて定時退社した帰り道。「では、何を考えたら俺の脳は、この悩みを次の行動に昇華できるのだろうか?」と、別のことをいろいろと考えてみた。自分に出来る限りで、固執している対象以外のことに広げて、生き方を考えてみたのだ。駅からの30分程の道のりを歩いていて、ふと頭痛が消えたのは「自分が決めて、将来性を見込んで入社し、いろいろと教えて育ててくれた会社がダメになってしまったことが悲しいんだな。」と思ったら頭の中のモヤモヤがスッと引いてほどけて行くのを感じた。ああ、そうなんだな。と昨日、一晩中自問自答し続けていた自分の無意識が納得してくれたことを感じた瞬間だった。

 

俺の無意識は、結構いろいろなコトを知っている。だから俺に、ここにいたらダメだと教えてくれたのだと思う。諦めずに、ここでもう一度頑張って組織を変えてみたら良いじゃないか?と問いかけると、俺の無意識はダメだと言っている。なぜか?それは組織にぶら下がる人が多過ぎて、一度でも失速したら戻せないからだ。この感覚は前の会社を辞めた時に似ている。直感を大事にしてみようかなと思った。今もくそ仕事の中にも、心ある人たちはいて、現場のため、お客さんのために頑張ろうとしているんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り道

今日の帰り道、夕日がとてもきれいで、去年までの生活では中々こういう時間に退社できなかったから贅沢なじかんだなぁとシミジミと感じ入ってしまいました。

 

この会社からの帰り道でこんな夕日を見るのはこれが最後かもしれない、そんな予感を感じながらの帰り道だったので、余計に美しい夕焼けでした。

 

私は、今の会社は転職でして、でも本当に良い会社で、惚れ込んで入って、ここで働くことに誇りも感じていたし、それなりに苦しい思いもしながら耐えて来たし、喜びも悲しみも挫折も達成感も教えてもらい、大きな仕事をさせてもらって本当に大好きな会社です。今もなぜこんな風になってしまったのか、信じられません。ひょっとしたら、昔からこうで、私が外ばかり見ていたから本当はこんなにドロドロしてるって知らなかっただけでは?と改めて考えてみたものの、あ、俺ってばこの会社の中心もしばらく定点観測してよく知ってる。ここ数年でこうなっちゃったんだと気付いて、やっぱり落ち込む訳です。

 

大戸屋のお骨事件や、出光の創業家と現経営陣の対立やら、大塚家具の御家騒動やら、企業ガバナンスに関わる問題が取りざたされている昨今ですが、何なんだろう?ということをしばし考えてみました。

 

【経済インサイド】お家騒動の大戸屋HD「お骨事件」とは…創業者未亡人と社長が社内で対峙 テレビドラマもびっくりの修羅場だった (1/4ページ) - 産経ニュース

 

出光・創業家の対立がヒートアップする事情 | 週刊東洋経済(ビジネス) | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

これって、どれもこれも多様になった価値観が小さな企業の中に押し込められ、そのひずみが表に出て来た事件に見えるんです。世代間のなだらかなギャップが、バブル崩壊から、リーマンショックなどの段階を経て少しずつ狭い空間に閉じ込められて断層に力が溜まってはじけたような、そんな事件たちです。今や政治もそんなモザイクになっていて、これだけ多様になったのに、多様性を尊重し合う気持ちは私たちに備わらないまま今日に至っている訳ですね。

 

それでも、今までのやり方でうまくいっていたベテラン経営者は今日と同じ明日を夢見て、明後日の方向に向かって采配を振るうんですね。で、自分たちの采配がどんな結果につながっているかなんて死ぬまで気付かずに得意顔で会社を去って行くんでしょうね。なんだか悲しい。まぁ、東芝の往時の経営陣のように、死ぬまで逃げ切れなかった人たちが、どんなことを考えているか?とか、すごく興味があるんですがね。

 

あ、言っておきますが私は東芝関係者ではないのでご安心を。

 

 

 

 

 

Apple ID のパスワードがいつの間にか変わっている?と焦った件

Apple ID のパスワードがいつの間にか変わっている?と思われる現象が発生。

それは4年程使い続けているMac book Air で一部のソフトのアップデートが行われず、再度手動でアップデートした際に起こった現象。お前の入力したパスワードは違っている!とApp storeもi tunesも言ってくるのだ。で、しまいには「パスワードをお忘れですか?」とまで聞いてくる始末。

 

パスワードには絶対の自信があったので、何らかのトラブルに違いないと思いFAQを見にAppleのHPに行くと自分のApple IDで、このHP上ではログインできるではないか?これは新手のフィッシング詐欺ウィルスにでも侵されたか何か?とにかくトラブルだ!と確信してサポートに電話。電話の先の、とても感じの良いお兄さんと格闘すること30分。ついにわかりました。

 

2ファクタ認証が悪さをしていたというか、旧バージョンのOSに残る2ファクタ認証との相性の悪さが原因でした。古いバーションのMacだとパスワードの後に、携帯とかiPadなどの別のデバイスに送られてくる2ファクタ認証の6桁の数字を追加で末尾に入力しないと認証されないという仕様になっているのだ。こんなの知らないよね?

 

同じ症状で困っている人を助ける備忘のために書き留めておきます。

 

 

トヨタの決算発表

トヨタの決算が発表になりまして、18年振りに2期連続の減収減益だそうです。大きいのは為替の影響みたいですが、トヨタの減益ってあちこちのニュースで取り上げられるので、日本中でいろいろな人が心配しているんだなぁということが分かります。かくいう私も、あまり関係ないヨソ様の決算で、ちょっと言い表せない微妙に不安な気持ちになっており、これをあえて言葉にしておきたいなぁと思います。

 

個人的にはまったく関係ないヨソの会社の決算がこんなに気になるのは、もう日本の経済は自動車頼みで、その自動車産業のエースはトヨタだからだと単純に思ってました。日本が今世紀も今の経済的なポジションを何とか保持できるかどうかはトヨタをはじめとする自動車にかかっているという、こっちの勝手な期待が、2期連続の減収減益と聞いて、大丈夫?という気持ちにさせるのかと思っていたんですが、それだけじゃなかったんです。

 

まず、数字そのものを見れば相変わらず立派な決算です。27兆円以上の売上を上げて2兆円に近い営業利益です。率にして7.2%といえば、申し分の無い経営状態だと思います。これだけ見ると不安を感じる要素は全くない。でもトヨタは対外的なポーズではなく本当に反省しているというか、難しい課題に直面していることを認識しているのです。その問題の数とか大きさとか複雑さとか、そういったことは当のトヨタでないと分からなくて、トヨタの中でもそういう全体像が見えている人は限られていて、決算発表で前に出てしゃべっているあの人たちにも、全体像は見えている一方で課題の細かいところなんてとても見きれていなくて、それが豊田章男さんが冒頭に言っていた「大きくなりすぎた」という表現に現れているんだと思います。でもそういった言葉やスライドで表現しきれない微妙なニュアンスの部分も、数字やファクトや人柄や醸し出されるトヨタらしさ?でキチンと伝わって来た良い決算発表会だったと、後から動画を見て思いました。

 

トヨタは本当に果敢な挑戦をしていると思います。これまでの数十年間でトヨタが率先して築き上げて来た日本車の”機能に特化した”イメージを自ら打ち破り、もっとセクシーさとか、走りの良さとか、乗る人の感性にも訴えるようなよいクルマを作ろうと取り組みをしつつ、これからやってくるパラダイムシフトを超えようというのです。パラダイムシフトとしてはエネルギーの転換とか、人工知能の発達といったものが既に見えて来ていて、今までにない次元での競争を余儀なくされている。それでも積極的に未来のクルマ社会を自ら描きつつ、その未来の中でも社会を支える主要プレイヤーであり続けようという意思を表明している。

 

こういう思想や視点は先頭を走っていないと獲得できないんです。誰の真似でもなく自分の頭で考え、描いた未来像を目指すという姿勢。そしてそのリスクは他でもない自分たちでマネージしなければいけないということを請け負う覚悟。それをやりきろうというトヨタの意思を感じながら、その動きに自分が参加できていない負い目というか、トヨタ1社に頼らざるを得ない自分たち日本人の不安が投影された決算発表だったのではないかと思った次第です。だから今年は特に気になっちゃうんですね。

 

ソフトバンクの決算も発表されましたけど、ソフトバンクが日本の将来を背負ってくれそうには見えないのも、孫さんがもう世界全体を背負おうとしちゃっているからなんだなと思ってて気付きました。はい。