行き場を失いかけた狩猟本能

古来、人間のオスは狩猟を担い、メスは巣である洞穴で家族を守っていたという説を昔はやった本で読んだ。

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この本を読み切りかけた状態で八王子の松屋に忘れたことを今思い出したが、それは本題と関係ないので割愛。八王子時代ということは10代だったなぁ、あの年齢にして男女の脳の構造差を考えざるを得ない状態に追いつめられていたのは、あの女子との…やっぱり割愛。

 

そんな本のことを思い出したのは、先日の同一週末に二回目の釣りに出かけた帰り道のことだった。そもそも釣りに凝りだしたのは3年前。仕事の配置転換で土日に休めなくなり、一人でできる趣味を模索して中学時代以来の釣りにたどり着いたのだ。最初は近所の湖沼でフナやタナゴを釣っていた。それが高じて気がつけば月2回は海へ繰り出す日々。最初は喜んでついて来た子供が、今は返事を渋るようになっている。

 

今年のシーズンインは6月。実は、私のメインターゲットはアジ、それも、なりふり構わない初心者向けと一部では蔑まれるサビキ釣りを必ず併用した堤防からの、エサ釣り、アジングなのだが、なんと今年は一度もアジの群れに出会えていなかったのだ。その結果、初めての三浦半島遠征、トリックサビキデビュー、朝マズメ・夕マズメ連チャン(つまり一日中)、アジパワー投入など、考えられる全ての対策を講じたが、去年あれほど釣れたアジが全く釣れない。しかも悔しいのは、同じ釣り場で少数ながらアジが上がっているのだ。つまり自分がへたくそだということが嫌という程、毎週のように証明され続ける日々を送って来たのだ。三ヶ月ちょっとも。。。

 

ところが、先週末は釣れた。金曜の夕マズメから日没まで、ずっと釣れた。

(何も変えていないのに!)

 

そうした所、業を煮やして予定していた翌々日の釣行が、なんとも心の余裕が漂う、海を楽しむ素敵な1日になったのだ。

 

思えば、今年になって仕事が変わり、その仕事がまた、上の顔色だけを伺って気だけ使っていればよいとクソみたいな仕事で、私は本当に行き場の無い情熱を釣りに傾けていたのだ。そしてその釣りでさえも報われない日々。それが報われた瞬間。そう男には、そして自分には狩猟本能があるということと、それが満たされる瞬間が確かにあるということがここで確認できたのだ。どうやら年に1回くらい満たされると、僕の狩猟本能は満たされるらしいということも分かった週末だった。

 

狩猟本能は即、生きる本能で、それがなくなったらおしまい。

しばらく釣りで発散しつつ、行き場を失いかけた狩猟本能をなだめてやろうと思った。