東芝について思うこと

多くの家電メーカーの中で、思い入れを語れと言われて一番語れないのが東芝なんですが、そんな私が東芝関連の本を私の読書量の中では比較的大量に読んでいます。(ページ数ベース、ムーちゃん肌感覚による)何故だろう?大鹿さん、大西さん、児玉さんという名うての経済ライターの皆さんが本気の取材を元に書き付ける迫力もさることながら、これが日本の本格的な敗戦の始まりだからだと思います。この事件が先の大戦で考えるとミッドウェーに相当する気がするんですね。

 

ちょっと大げさですが、先の大戦をイメージでざっくりで恐縮ですが世代論として理解すると、日清日露を乗り越えて成功体験を伝え聞いた世代が日中戦争をだらだらと続け、そのだらだらが示唆するものを深く考えないまま、もしくはあるものは深く考えつつもその状況を利用して世界での日本の立ち位置を優位にしようと画策し、気がついたら戦争を知らない世論や政治を騙していたつもりが乗せられて、引くに引けないまま破滅に突き進んだ戦争だったと思うのです。誰も悪くなかったし、見えていないのも無理は無いです。国家全体を世界情勢の中で細部まで見通すなんて、当時の世界でもできていた人はほとんどいなかったはずです。でも、何らかの決断をしなければいけない彼らは保身とすら気付かない無意識の防衛本能でアメリカとの開戦に踏み切るんですよね。勝てないと頭で分かっていたのに。

 

最初に挙げた3者の本と雑誌や新聞やテレビの報道と、私が培った人を見る目で考えて、これって本当に経済戦争の終焉を告げる出来事であり、後にも続く企業がまだ出てきそうだという(これからクルマのパラダイムシフトが始まるっしょ)ことを考えてミッドウェーかなぁと。経営者の資質不足は批判されることがあっても、東芝の歴代経営陣の判断自体は間違っていたとは言い難いものだったことが確認できました。どこが決定的な判断ミスで、どこでなら後戻りできたか?というポイントに絞って読んだんですが、そんなポイントは無かったですね。

 

ただ1つ、私の観点で言わせていただくと守るべき理念/ビジョンの不在だけは指摘しておきたいのです。彼らは何を目指して何と戦い、どこにたどり着いたのか?それが極めて個人的なものに見えてしまうという点で経営者としての資質については言いたいことが残るかなと思います。でも本当にこれからそういう経営者やリーダーが増えてくるから気をつけましょうね。

 

先の大戦の世代論に戻ると、自由を謳歌した明治生まれ大正育ちの大人は徴兵されずに生き伸びました。苦労をしたことは間違いないですが、それでも戦後を見ることはできた訳です。でも大正生まれの男子は、ほとんどが戦後を見ずに亡くなっている訳です。さて、僕には平成が大正が似通って見えて仕方ありません。自分の子供も平成生まれなので、彼らが幸せに人生を生きられるようにもうひと働きしたいなぁと思っています。