ある地方のお寺に心動かされた

二年前、叔父が亡くなった。大変、立派だった人で子供の頃からお世話になった人だったのだが、その話は今日は置いておく。その叔父の法事で行った、小さな村の古刹の話がしたい。

 

そのお寺に行くのは初めてだった。生家の宗派とも違うし、母の妹の連れ合いの菩提寺に私が行く機会というのはそうそう無いのだが、実家からは車で40分ほどの距離なのだが、一見して、なぜこのような立派なお寺が地域の名所として誰にも取り上げられていないのだろう?と違和感を覚えずにはいられないくらいの立派な伽藍に、4〜5百年前にこの地を納めていた大名家の家紋をあしらったお堂や山門が佇んでいた。

 

立派なのは建物だけではなかった。本堂には四弘誓願の篆刻が掲げてあり、読経が始まって声を改めて聞いたとき、この和尚さんの法話が、叔父の葬式の時も立派だったことを思い出した。その宗派の教えなのか和尚さんの個人的な考えなのか、葬式というセレモニーが生き残された人々が、死者の死と向き合って、それへの供養として強く生きていくことを説教じみずに、ごく自然な言葉で語りかけるものだった。

 

本堂でもう1つ、私の目を引いたのは、先の大戦で戦没したと見られる村の若者の、おそらく全員の写真が本堂に掲げてあったことだ。100人ほどの方の遺影がならんでいただろうか?私の胸には、村人がこのお堂を祭りや法事で訪れる際に当時の村や地域や県を背負って国のために軍隊へと赴き戦地で散っていった若者がいたことを思い、衷心から祈りを捧げて戦後の年月を重ねたであろうこと、そしてそのおかげで村人が肩身のせまい思いをせずに戦中、戦後を過ごせたこと、しかしその若者を失った家族の悲しみは写真を見るたびに繰り返すとともに、村人に忘れ去られないであろう安心で少しは癒されたかもしれないこと、そしてどの若者の表情もどこか寂しげで死地に赴く覚悟と不安と、家族を安心させるための作り笑顔をたたえていることが去来した。

 

そう遠い昔ではない時代に、そうやって国を守るために亡くなった生身の人たちがいる。国が初めた戦争で亡くなるのはそういう人たちなのだ。私は、その戦争を遠ざける努力を本当にしているだろうか?盲目的に九条を守るとか、自衛隊違憲なのか?とかアメリカ追従を止めるとか、なんかそういう議論が、この圧倒的な現実の前では無意味。机上の空論に思えて仕方がなかった。戦争を避けるために、もっとプラクティカルにやるべきことがあるのではないか?これらの命に応えるのは、そういう努力なのではないか?生きている我々が過ちを繰り返さないために強く生きることが、この人たちへの供養なのではないか?そんなことを考えました。

 

ああ、このお寺は、地域は代々立派なご住職に護られているのだなぁと、しみじみ感じました。