『人材、嫁ぐ』 11年目の感想

糸井重里さんのコラムで、広告関係者に読み継がれている西武の堤さんとのやり取りを記した『人材、嫁ぐ』というコピーに関するものがある。書かれたのは2008年の4月。

 

ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

 

10年前から時々、誰かのブログやSNSで引用されて3年に1回は読んでいる気がするが、今日読んでの感想は今までのどれとも違っていたので書き残しておきたいです。

 

いつもだと、堤さんは違うなぁ。さすが堤さんだという感想で終わるんですけど、今日は違って読めました。これ、堤さんが当時、西武の中を見て感じていた問題が表出しただけだと思えたんです。西武という会社に対する問題意識が、生産性とか効率のことを重視しすぎて社員のことも同様にシステマチックに扱う風潮が気になっていたという問題意識が表出した瞬間に過ぎないのではないだろうか?と思うんです。だから、その場に広告担当として私が列席していたら、それは堤さんが我々、社員の人間関係をドライだと感じているから起こる見方ではないか?という点を、堤さんと議論したかったなぁと思います。僕たちには厳しい仕事を一緒に取り組んだ仲間としての「彼女」を見送る時に「人材」っていう言葉を選ぶことに何の後ろめたさも感じませんが、堤さんは西武には、あるいは現代の企業には、その言葉を使うほどの人間性への信頼がないとおっしゃってるんでしょうか?と言っちゃうと思うなぁ。30代だと言えなかったけど、40代になった今は言っちゃうだろうな。

 

でも、そんな会話を社員と経営者がしたら、きっと会社は良くなると思うんです。際限ない効率重視や過度な生産性礼賛を改める、もしくは人間性を守るために効率や生産性を適切に求める、そんな組織としてのバランスを組織のみんなが認識するきっかけになるような議論が展開できたと思うんです。堤さんもそんな生産性重視の生活とのバランスを取りたくて作家活動をされていたんではなかろうか?と思ったりします。そんな合理と人間性のバランスこそが、組織運営のアート。私はそんなことを信じていて、いまもそういう仕事がしたいと心から思っています。

 

『人材、嫁ぐ』のメインビジュアルは花嫁さん、その様子を見ているのは広告主である西武の人達であるとすれば、そこに言外に「おめでとう」という空気が溢れるのは必然なんじゃなかろうか?そこで一緒に仕事をした仲間を惜しむ気持ちって十分に人間性があふれたあたたかい気持ちだと思います。

 

年をとったら、そこでそんな説明が出来なかった西武の広告担当者たちに覚悟が足りなかったか、もしくは図星のしてきだったかということを感じつつ読めるようになりましたね、このコラム。

 

でも堤さんのような経営者の下で広告や企画に携われたら幸せだったろうなと思いますよ、心から。