戦争について考える

2013年からしばらくの間、仕事で置かれた環境が過酷で、嫌でも毎日のように戦争のことを思い起こさせられました。その時に思いを巡らすのは現代の戦争ではなく、日本が戦った先の大戦で、兵士達はどんなことを思いながら戦ったのだろうか?本当に現実から目をそらして勝てない戦争に突入して、負けた場合の最後の責任を誰も取るつもりもなく、あんな大それた行為に突っ込んでいけたのだろうか?それとも戦後教育の中で採用された軍部の暴走という表現は事実で、戦争装置である軍隊があれば、国は必ず戦争へと突き進むのが宿命なのだろうか?だから憲法九条があれば、国は戦争へと向かわないのだろうか?当時の軍人、職業軍人達、特に参謀を任されるような知性を持ち合わせた人たちは本当に、そこまで愚かだったのだろうか?気骨が無かったのだろうか?

 

そんなコトを毎日考えていました。それは自分がブラックな職場環境に閉じ込められて、連日の徹夜生活を余儀なくされており、それが生産的だとはとても思えず、かといって頭が良いはずなのにその状態に自分自身をも追い込む上層部の人たちの行動に、ひたすら私の脳が「なぜ?」を繰り返していた結果でした。無益な戦いを、なぜ頭が良いのに選んでしまうんだろう?という素朴な疑問がどうしても拭えませんでした。会社であれば命まで取られない(こともないんですが)という前提で考えてしまい、突き進むんだろうか?と考えていて、命のやり取りになる戦争を、昔の日本人がどのように決断したのかを考えるようになったのです。

 

何冊かの本を読み進めると、良心的で論理的だと思われる軍人ですら、例えば永田鉄山は惨殺され、石原莞爾満州から予備役へと排除され、山本五十六は勝てる勝てないの議論はをぼかし、開戦して1年や2年は暴れてやりましょうって、その後をどうするのかについては皆で考えないことにして戦争に突入していきました。この経緯を知るほど、ああ、日本人に生まれてよかったとは気楽に言えないのだなという事実が私に重くのしかかってきました。

 

最近でた西村京太郎氏の戦争体験本に、日本人は戦争に向いていないという総括がありますが、正にその通りだと思います。大きな戦略を描けず、目的を持って外交すらできない集団は、その外交の手段である戦争を積極的に活用してはいけないと思いました。厳しい自然と向き合いながらも、昨日の延長の今日を強かに生き抜く力は農耕民族である日本人には備わっていると思いますが、互いに狩り合いながら、略奪し合いながら生き抜く狡猾さは日本人にはなじまないと思います。それが、戦後民主主義で父や祖父の世代が至った結論だったと私は理解しています。その上で、難局をどう生き抜くかが問われている難しい時代だと思います。

 

 

 

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最後に、ブラックの話で締めてもいいね。