既視感

20年前に最初に社会人になった会社が、最初は自由な雰囲気だったのに何かの拍子に”無駄なことはやめて効率化をとことん追求しよう”っていう雰囲気になって、、、いや違う。ここがうまく書けないところなんだけど、そうなる前から何度も効率化は叫ばれて改善活動みたいな活動は繰り返されていたのに、本当に何かの拍子でちゃんとやらなきゃっていう大きな力が加わった瞬間、その何かの閾値を超えた瞬間に、自由な雰囲気が奪われ、現場でやっている我々からしたら、これって本当に効率的?って感じる指示が繰り返されるようになり、その新しいゲームのルールに疑問を感じずに順応して上にごまをするタイプが重用されるようになり、当たり前のように正しく組織としての成果が出ない事態に陥った、あれを見ていた頃の気持ちを、ふと思い出した。

 

というのは、今の職場がその下り坂を転げ落ちているからだ。そのスパイラルの入り口にさしかかっているのを感じて言葉に成らない違和感と既視感を感じているのだ。

 

優秀な人が優秀であるが故に無意識に少しづつ多様性を排除し、自分の考えているように世の中が反応しないことにいらだち、それを、その人の感情という自然な要素にさえ、彼らの優秀な部下達が自然な反応をできずに忖度し、耳障りのよい報告を繰り返した結果、自由闊達な雰囲気は霧散して、嘘が横行し、その嘘を前提とした報告のための美しい物語が拡大再生産され、現場や社会とも乖離し、当然のごとく期待した組織としての成果が得られない状態に陥っていく。いま優秀な人達が、その優秀さ故に自らの所属する組織をゆっくりと圧壊し、優秀さ故にそこから抜け出せなくなっている光景を二度目だから冷静に見ている。

 

例えるなら、こんな光景だ。いま彼らは潜水艦に乗り込みミッションを深海探索だと思って潜り続けている。どこかの時点までは通常の深さで、より多くの魚の生体観察をしているはずだったが、ふとした拍子にその潜水艦の前をクジラが横切り、深海へと消えていくのを見たのである。なまじ高性能な潜水艦に乗っている優秀なサブマリナーである彼らは、それを追いかけ圧壊深度に到達しようとしている。私は別の潜水艦に乗って、そんな彼らを上から心配しながら見送っている。そんな心象風景だ。恐がり深度を深められない私を彼らはあざ笑っているが、私はそれ以上の深度を経験しているから、この浅瀬で見守っている。そんな感じなのだ。

 

そう、自分より遥かに年齢を重ねているはずなのに、経験が足りないオッサンとその部下達を上から見守っている。別の言い方をすると、戦略のミスは戦術では取り返せないことに彼らは気付いていない。イノベーションというクジラを追うなら、最初からその準備が必要だったのである。

 

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