ユトリとかサトリの何が扱いにくく感じるのかという問題について

長年、言葉にできずに苦しんでいたテーマについてようやく言葉にできた気がする。でも、ブログに書いてみると意外に言いきれていない気持ちが底の方に残っていることに気付いたりもするので、期待しすぎずに書いてみよう。

 

ずっと、自分でやってみずに分かった風な態度をすることがいけ好かない。その割に想定外のことが起こった時の慌て方が半端ない。そしてそれを他人のせいにしがち。自分の明らかな落ち度に気付けていない。など、この両世代に接するたびにいろいろなネガティブな感想を溜め込んで来た。もちろんポジティブな感想もたくさん頂いてきているが、ここでは触れない。これらのネガティブな感情を全員が全てもっている訳ではなく、みんな部分的にしかもっていなくて、この最大公約数にあたるポイントをどう表現したらいいだろう?って考えて来たけど、ようやく自分の中で納得できる言葉に巡り会えた。

 

それは「そのままの自分でいい、絶対に自分は変わらない」という気持ちがにじみ出ているところ。歩き方とか、生活態度とかに醸し出されていることが多いのだ。おそらく何かで学んだ「”上(の世代)にウケる”身のこなしマニュアル」の類いを厳守して装っているのだと思うが、歩き方とか返事とか、文書やメールの語尾とかいう何気ない部分に、「自分は絶対に変わらない」という主張がほとばしっているのが、私には受け入れられないのだ。だって無意識に出ているそのシグナルは彼の/彼女の本心ですから。

 

ま、でも、それでいいんだよな。若いヤツなんて。だから俺は割を食わない距離でそっと見守らせてもらうのだ。成長したいヤツ、変わりたいヤツだけが変われば良いっていうのは昔からそうなのだ。

 

 

でもそんな彼らも自分が得をするかもしれないことには、必要以上に敏感だ。そこが「あれ?自分のスタイルは変えずに守るんじゃなかったの?」って感じて、余計に許せないんだよ。教えてもらったら重宝なスキルは必死に聞くし、分からないと教え方が悪いと言わんばかりの態度だったりする。世の中、若いうちに理不尽に耐えて体得しないと一生つきまとう苦労もあるだぞって、若い頃にオジさんに教えてもらったんだけど、今はそれを「ああ、こういうことだなぁ」ってシミジミと感じるので、これってやっぱりユトリだとかサトリだとかって関係ないな。

 

ごめん、君たちもあのころの僕たちと一緒だった。扱いにくいのはお互いの背景がかけ離れているからなので、これからもうまくやっていこうな。距離をキープして。